音楽が貴族の専有物から市民階級へ広がったのはベートゥウ゜ェンのころと言われています。しかし、宮廷音楽隊を常駐させられる王様ならともかく、市民階級が家庭で音楽を楽しもうとしたらピアノか小編成の室内楽に限られます。そこで音楽家達は自作の編曲を行い、その楽譜の代金の一部が収入となりました。最低限ラジカセとCDがあれば、好きなときに好きな曲を、寝転がってでも聴ける現代の生活は、当時の王侯貴族以上の音楽環境にあります。これを楽しまない手はありません。 ベートーヴェンの交響曲はすべてにリストがピアノに編曲した楽譜が残っています。カツァリスはこのリスト編曲のベートーヴェンの交響曲ピアノ編曲版を、全曲録音している唯一のピアニストです。
ベートーヴェンが総ての音を書いたという証拠はありませんが、少なくとも「監修」はしたとされる編曲です。原曲が次のエロイカのような大編成のオケ用には書かれていない事もあって、室内楽として聴いても素直に受け入れられます。中産階級の家庭で趣味として演奏され楽しまれていた、往時の雰囲気を味わう事ができます。演奏はベルリン・フィルの全盛時のトップ・プレイヤー達です。
ピアノへの編曲は素人が家庭で楽しむ為に始まりました。しかしリストの編曲は、自分の演奏活動用に可能な限り原曲の響きをピアノで表現しようしたものです。そのため演奏が困難であっても、あえて原曲の響きを出すための編曲がなされています。もはや自分で弾いて楽しむというよりは、プロの演奏をコンサートで聴くものになっています。 そのリストの編曲をもってしてもピアノで弾くエロイカには、あちこち音が欠けているという印象が否めません。
初めてこの演奏を聴いた私の学生時代は、「グールド? 誰それ?」っていう認識でした。演奏のテンポがオケでやるのよりかなり遅くなっていますが、「技術が無いからではないか」という評論家さえいました。今では考えられないことです。 「コンサートを拒否したピアニスト」の聴衆の居ない演奏のTV放映があり、ブーラムスのピアノ協奏曲でテンポについての意見の相違からバーンスタインが異例のコメントを演奏前に行い、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の録音では途中でレニーが「もうやってられない」からとストコフスキーに代わったりと、「変人」ピアニストとしての知名度は上がりました。そして今やどこのCD店にも「グールド・コーナー」が置かれる「大」ピアニストになりました。「精神的な異常が無い人間の方が異常」である病める現代人にとって、「内面の優しさ」を頑なに守り通したピアニスト、グールドは非常に共感を覚える存在なのでしょう。
C.F.エバースが弦楽5重奏に編曲した楽譜が、1994年プラハで発見されました。ベートーヴェン時代の古楽器を使っていることもあって、柔らかくて軽やかな演奏です。重厚な「運命」も、身にまとう鎧を脱がせばこんな曲だったのかと、新しい発見があります。同時に発見された楽譜よる第7番と「エグモント」「プロメテウス」「フィデリオ」の3つの序曲を収めたCD(POCL00321)も有ります。
その後C.F.エバースの編曲は交響曲全9曲ある事が分かりました。プロ・アルテ・アンティク・プラハのメンバーが2人替わって編成されたのがエンシェント・コンソート・プラハです。今後はこのメンバーで全曲録音する事になったようです。 第5番ではコントラバスが加わり6重奏として演奏されています。低域の増強は思ったよりも迫力が増し、曲想がドラマチックに展開するようになりました。エンシェント・コンソート・プラハのメンバーが手を加えたのだと思いますが、オリジナル曲であれば非難囂々、考えられない事です。「ひょっとしたら、新発見の編曲といのも、実はメンバーによる現代の編曲では」なんて事も思い浮かびます。昔クライスラーがやりましたよね。全曲の編曲がしてあって、発見されるまで全くその痕跡が無かったというのも妙な話です。これだけ楽しい思いをさせてくれるのだから、万一そうであっても一向に構いませんけどね。
第5番と同時期の1960年代後半の放送録音です。こちらの方は遅いテンポが曲に合うこともあって、なかなか楽しめる演奏になっています。第4楽章の嵐の場面では、左手の低音が劇的な効果を演出しています。緩序楽章との速さの差がもう少しあったらと思いますが、欲を言えばきりがありません。
オーボエ2、クラリネット2、ホルン2、バスーン2、コントラバスーン1と管だけの9人編成アンサンブル用にベートゥヴェンが編曲したとされているものです。第2番のピアノトリオ版と同じ様な生い立ちであると思われます。オーケストラ版は時として煩く感じられる事もありますが、こちらは楽器編成からしてのどかで牧歌的な趣があります。別の人の編曲による「フィデリオ」序曲とカップリングされています。
これもリストによる交響曲の編曲です。ホカンソンのだけならこの一行で終わりです。しかしもっと興味有る編曲がカップリングされているので、紹介します。なんとベートーヴェンの器楽曲のメロディに歌詞をつけて歌曲に変えてしまっているのです。ピアノ・ソナタ第23番「熱情」第2楽章が「夜に寄せて」、交響曲第7番第2楽章が「妖精たちの夜」、第5番「運命」の第3楽章が「あなたのおがげでこんなに幸福なのです」といった具合。歌っているのが、あの生真面目そうなヘルマン・プライというのですから驚きます。ドイツ人にもこんなユーモアがあるのですね。
双子の兄弟による息のあったピアノ2台の演奏です。リストは自身が演奏するものとして独奏用の編曲を行いましたが、晩年、より充実した響きを求めた2台のピアノ用の編曲を残しています。第4楽章では2台のビアノによる掛け合いが聞き物です。
これはオリジナル楽器による演奏であって、その意味では編曲物ではありません。しかし、所謂「解釈」というだけで、これほど新鮮な発見を次々に拡げてみせてくれる演奏はありません。おまけ、ごまめ、で最後に潜り込ませた次第です。 風通しの良い比較的小編成のオケからは、各パートが絡み合っていく様子が実にハッキリと表現されています。フルトヴェングラーの演奏に代表されるような「神韻渺々」たる趣は全くありません。最終楽章で声楽が入ってくると指揮者の意図はさらに明確になってきます。オケは声楽と混然一体となって歓喜のフィナーレへと盛り上がって行くところですが、ここに至っても透明を少しも失いません。最後の最後でティンパニの強奏があってパタリと終わります。この演出、どこかで聴いたことがあるなと思ったらメンゲルベルクがやってましたね。彼はスコアに手を入れる事で有名でした。その類似だけで「編曲もの」の仲間に入れるのは、やっぱり強引かな。